日本の歯科医院で作った総入れ歯でよく咬めなくて困るという患者さんは極めて多い。なぜ咬めないのかを考察する。

日本の保険の総入れ歯は激安低レベル商品

 日本の社会保険歯科医療は先進国の中でも、最低レベルの技術評価と財源となっているため、総入れ歯の製作ステップを省略・簡略化しているケースが極めて多い。
 安易に製作された総入れ歯が10個あったとしたら、その内5個は患者さんの適応能力に救われて何とか食事ができているのである。
 残りの5個の内3個は不便だけど我慢して使っている、さらに残りの2個はどうしようもなく咬めなくて、歯科医院をさまよう患者さんになるのである。
 では、社会保険の技術評価を上げたら、咬める総入れ歯が世の中に溢れるのかと言えば、残念ながら答えはNOなのである。

基本概念が抜けている総入れ歯が多すぎる

 総義歯の専門医の先生の中には、日本の総義歯は赤いプラスチックの板の上に歯を並べただけのものが多いと言う先生も多い。

総義歯について講義する国立東京医科歯科大学・早川名誉教授

 一番の原因は多くの歯科医師が本当に咬める総義歯を自分で製作した経験も無いし、咬める総義歯とはどんなものかということを知らないことにある。本物の咬める総義歯を大多数の歯科医師は知らないのである。
 総義歯製作の一般的な工程は下記のようなものだが、

  1. おおよその形をアルジネート印象材で型どりする。
  2. さらにその模型から新たな型どりの枠組みを作り、筋肉の動きや収縮を反映した精密な型どりをシリコン印象材等で実施する。
  3. 上下の義歯の咬み合わせを型どりする。
  4. 上下の義歯の土台に人工歯を排列して、実際の口の中に入れ、咬み合わせや見た目が良いか確認する。
  5. 問題なければ完成義歯を作成する。
  6. 患者さんの口の中に入れ、微調整を行う。
  7. 数日後に義歯の沈下等が生じ当たりが出るため、再度調整を行う。

 そもそも日本の臨床の中では、1番目のおおよその形が採れていないケースが圧倒的に多い。このステップで、義歯の良し悪しは8割方決まってしまう。
 一番多いのは、下顎の最後方部の臼後三角という誰にもある弾性のある硬い組織の部分が多くのケースで型どりできていない。
 総入れ歯に限ったことではなく、部分的な入れ歯においても同様である。

下顎の臼後三角は赤丸の部分

下顎臼後三角が採れていないと義歯はどうなる?

上下の総義歯の人工歯が咬みあうゾーンを咬合平面というが、これが下方へ下がってしまっているケースが圧倒的に多くなるのである。
 下顎臼後三角の上下的な二分の一の高さが標準的な咬合平面の後方の基準点なのだが、型どりで臼後三角が出ていないので、技工所は適当に高さを決めざるを得ない。
 後方基準点が模型に出ていないので、技工士は咬合平面を低く作らざるをえなくなるのである。
 当然下顎の人工歯が低い位置に設定されるので、上顎の人工歯は正常よりも高さが長くなった状態で義歯に並べないと、上下の咬み合わせの高さが確保できない。
 この状態で義歯が完成されると下顎が前方へ動こうとするたび、下顎臼後三角部が上顎義歯人工歯最後方部にぶつかり、下顎の動きが取れなくなる。
 つまりは、どうしようもなくスムーズに下顎が動けない総入れ歯になってしまうのである。
 臨床ではリカバリーの打つ手のない救いようのない総義歯になってしまい、根本的な対策としては新しく義歯を作らざるをえなくなるのである。

高齢化社会が進展すると

 半世紀前は40歳・50歳代で総入れ歯になっていた人は世の中にざらにいたのである。ところが現在のように超高齢社会になると総義歯に初めてなるのが70歳台・80歳台というのもざらにあるケースとなる。
 半世紀前のように早期に抜歯を行い総入れ歯になったケースは、歯の周囲の骨が充分残っていた状態で抜歯された後、総入れ歯に移行していた訳で、現在の後期高齢者で歯周病の進行によって骨がとことん吸収されて総入れ歯になったケースと比べると、遥かに顎の骨の土手の高さも幅もあったのである。
 これは何を意味しているかというと、現在のお年寄りの総義歯製作は、半世紀前と比べると、殆ど顎の骨の高さも幅も無い超難症例が圧倒的に多いのである。
 残念ながら、この日本の現状の中では、今後は入れ歯難民は増加する一方で、減ることはないのである。